Sakai Indonesia社 様
36年の継続が示す信頼 酒井重工業がEJIPとともに歩んだ軌跡
今回はPT. East Jakarta Industrial Park入居企業であるSakai Indonesia社のPresident Komisarisである馬場氏に、インドネシア進出の歴史、インドネシア市場の変化、そして30年以上にわたり操業を続けるEJIPの魅力について話を伺いました。
Sakai Indonesia社
日本の道路建設機械のリーディングカンパニーである酒井重工業株式会社の現地法人として、1995年に設立。土工用ローラを中心とした道路建設機械を製造・販売し、インドネシア国内向け販売に加え、アジア、中東、アフリカ向けなどへの輸出拠点として事業を展開している。EJIP操業開始以来、同団地を代表する日系製造企業の一社として事業を続けている。
馬場洋氏
1982年に東京銀行(現三菱UFJ銀行)へ入行後、1989年からインドネシアに赴任。EJIP立ち上げ当初から日系企業誘致にも深く携わり、長年にわたりインドネシア投資・産業発展の現場を見続けてきた。2012年より酒井重工業株式会社に移籍し、Sakai Indonesiaの経営に従事してきた。
テーマ1:なぜインドネシアだったのか
インドネシアは特別な市場
酒井重工業にとって、インドネシアは歴史的にも重要な市場でした。酒井重工業は、敗戦直前の昭和20年5月の東京大空襲により東京工場を焼失しましたが、戦後に工場再建を果たすことができました。そこからさらなる飛躍を遂げる大きな契機となったのが、1959年のスカルノ政権下におけるインドネシア向け賠償貿易です。年間生産台数を上回る275台という大量受注でした。これをきっかけに、酒井重工業とインドネシアとの関係は深まっていきました。
1970年には地場との合弁にてPT Sakai Saktiを設立し、ジャカルタ市内のPulogadung Industrial Estateで工場を運営。数十年前に製造されたSakai Sakti社製のローラが今もなお働いていることも、インドネシアにおける酒井ブランドの根強さを物語っています。
何もない田んぼから始まったEJIP
馬場氏が初めてインドネシアへ赴任したのは1989年。当時は東京銀行に在籍し、日本企業の海外進出支援に携わっていました。1980年代後半、スハルト政権下の規制緩和を背景に、日系企業の進出機運が高まりつつありました。しかし、外資系製造業が安心して操業できる受け皿となる工業インフラはまだ十分ではありませんでした。
その中で、住友商事と東京銀行が中心となり、インドネシア初の民間工業団地として構想されたのがEJIPでした。総合商社が工業団地を開発し、金融機関が進出企業の相談窓口となることで、用地、資金、操業環境を一体として提供しようとしたのです。
“1989年にジャカルタへ赴任し、1990年のEJIPのGroundbreaking Ceremonyにも出席しました。本当に何もない田んぼで、牛が歩いているような場所でした”
その風景は、現在のEJIPを知る人にとっては想像しにくいものです。しかし、その「何もない田んぼ」が、後に多くの日系企業を支えるインドネシア有数の工業団地へと成長していきました。

EJIPの売り子として企業誘致に奔走
ジャカルタ赴任後、馬場氏の大きな役割の一つは、日本から訪れる企業にEJIPを案内することでした。東京銀行は当時、多くの日系企業の海外進出相談が集まる窓口でもありました。資金面の相談と進出先の紹介が一体となって進んでいく時代に、馬場氏はEJIPの魅力を企業へ直接伝え続けました。
“私は本当にEJIPの売り子でした。空港でお客様を迎え、そのままEJIPへ案内していました”
馬場氏によれば、EJIP初期のテナントの多くが東京銀行の紹介をきっかけにEJIPを知り、進出を決めたといいます。東京銀行はEJIPに出資し、財務面・誘致面の双方から開発初期を支えました。土地販売が完了し、進出企業の受け皿としての初期の役割を果たした後、東京銀行は出資者としての役割を終え、EJIPの運営は住友商事を中心とした体制へと移っていきました。
テーマ2:変化するインドネシア市場
当時のインドネシアで際立っていたEJIPのインフラ
1990年代初頭のインドネシアは、現在とは大きく異なる環境でした。ジャカルタ市内でも停電は珍しくなく、電話やファックスが安定してつながらない時代でした。日本の情報も入りにくく、短波放送で日本のニュースを聞くような環境の中で、企業が安心して操業できる場所は限られていました。
そうした中でEJIPは、水道、電力、道路といった基盤インフラを備えた、当時としては極めて品質の高い工業団地として注目されました。馬場氏自身も、EJIPであれば自信をもって日系企業に紹介できると感じていたと振り返ります。
“当時のレベルでは、EJIPは圧倒的に優れたクオリティの工業団地でした”
低廉で豊富な労働力、政治的な安定、規制緩和による外資進出の追い風。その一方で、進出企業が長期的に操業するには、工業団地側のインフラと運営品質が不可欠でした。EJIPはその受け皿として、日系企業の進出を具体的な形にしていったのです。
酒井重工業としてEJIPへ
1970年からインドネシアで事業を行ってきた酒井重工業は、1995年にPT. Sakai Indonesiaを設立しました。当初は住友商事もマイナー出資者として参画し、その関係もあってEJIPに入居することになりました。
ここで、二つの物語が一つになります。一つは東京銀行時代の馬場氏がEJIPの企業誘致に奔走した物語。もう一つは、酒井重工業がインドネシアをアジアにおける重要な製造・輸出拠点として位置づけ、EJIPで事業を展開してきた物語です。
馬場氏は、後に酒井重工業に参画し、Sakai Indonesiaの経営に携わることになります。かつて企業にEJIPを紹介していた人物が、今度はEJIPの入居企業としてその価値を体感する立場となったのです。


変わりゆく市場と、変わらないEJIPの価値
インドネシアの事業環境は、EJIP設立当時から大きく変化しました。かつての魅力だった低廉で豊富な労働力は、今ではそのままの形では語れなくなっています。最低賃金は上昇し、中国企業の台頭により、建設機械市場における価格競争も厳しさを増しています。公共事業予算の縮小などもあり、建設機械業界全体を取り巻く環境は容易ではありません。
一方で、マイニングやプランテーション向け機械への期待など、新たな需要の可能性もあります。インドネシア市場は難しさを増しながらも、依然として大きな市場であり続けているのです。
その中でSakai IndonesiaがEJIPで操業を続ける理由の一つが、日系企業集積が生む価値です。部品調達やサプライヤーとの近接性に加え、定期的に開催される入居企業会議を通じた企業間の情報交換のしやすさは、ものづくり企業にとって大きな競争力となります。
“部品調達や情報収集という意味で、日系企業が集積しているメリットは非常に大きいです”
また、EJIPには安心感という目に見えにくい価値もあります。日本の大手商社が関与する運営体制、長年にわたり蓄積されたテナント対応のノウハウ、操業環境を守る仕組み。こうした一つ一つの積み重ねが、長期操業を支える基盤になっています。
“日本の大手商社が運営しているという安心感があります”
厳しい時代を越えて、操業環境は改善した
馬場氏は、2012年に酒井重工業へ参画した当時、インドネシアの労働環境が非常に厳しい環境にあったと振り返ります。労働運動の激化や外部勢力とのトラブルなど、日系企業にとって容易ではない時代もありました。しかしその後、国家重要資産(Objek Vital Nasional/OVN)制度の導入などにより、工業団地の操業環境は大きく改善してきました。過去に比べ、警察や行政の対応にも実効性が伴うようになり、現在は安定した操業環境が整いつつあります。
“今は昔のような無法状態ではありません。この10年間で大きく変わったと思います”
輸出拠点から国内市場へ、事業体制も変化
Sakai Indonesiaは、もともと輸出を中心とした拠点として機能していました。アジア、中東、アフリカなど、幅広い地域へ製品を供給する一方、インドネシア国内向けにも販売を行ってきました。
その後、国内市場の重要性が増し、現在では国内販売が売り上げの約半分を占めるまでになっています。保税工場と非保税工場で分かれていた生産体制についても、EJIPの紹介を通じて広い工場の買収に成功、二つの工場をこの新工場に統合した上で、販売会社も工場内に入れることで、生産の効率化と共に、製造・販売・サービスの三位一体の体制としました。
この変化は、インドネシア市場そのものの成長を示すと同時に、EJIPという拠点が長期にわたり企業の事業変化を受け止めてきたことを物語っています。
テーマ3:これから進出する企業へのメッセージ
これからインドネシアや海外で製造拠点を検討する企業に対し、馬場氏はコストだけで判断しないことの重要性を強調します。労働コストや土地価格だけでなく、港湾へのアクセス、通関の効率性、物流動線、サプライチェーン、操業の安定性まで含めて、長期的な視点で拠点を選ぶ必要があります。
EJIPは決して最大規模の工業団地ではありません。しかし、36年にわたり日系企業の操業を支え、インフラと運営品質を積み重ねてきた成熟した工業団地です。
何もない田んぼから始まったEJIP。その誕生を金融機関の立場で支え、現在は入居企業の経営側としてその価値を語る馬場氏の歩みは、EJIPが36年にわたり積み重ねてきた歴史を映し出しています。EJIPはこれからも、インドネシアにおけるものづくりの重要な拠点として進化を続けていくでしょう。
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